バレエ界のアカデミー賞をいわれるブノワ賞を受賞して以来、今、注目を浴びているバレリーナ、オニール八菜さん。
ニュージーランドと日本のハーフである彼女は、その際立った美貌でも人目を引きますし、長い手足を存分に活かしきった表現力豊かな踊りでも、人を惹きつけてやみません。
パリ・オペラ座バレエ団の最高峰エトワールまであと一歩という彼女の魅力と、そのドラマチックな人生、めざましい活躍ぶりを調べてみました。
目次
オニール八菜さんの経歴【母親が日本人?身長は?】
生年月日 | 1993年1月8日 |
出身 | 東京都世田谷区 |
身長 | 172cm |
家族 | 父 クリス・オニールさん(ニュージーランド人) 母 純栄(すみえ)さん(日本人) 弟(2人) |
所属 | パリ・オペラ座バレエ団 |
ニュージーランドのお父さまと、日本人のお母さまとの間に生まれたオニール八菜さんは、東京都の世田谷区で生まれました。
オニール八菜さんのお父様は元ラグビー選手のクリス・オニールさん。
そして、こちらがオニール八菜さんのお母様、純栄さん。
「小さい頃から音楽が聞こえたら自然に手足を動かして踊っていた」という八菜さんは、3歳の時から岸辺バレエスタジオでバレエを習いはじめました。
8歳のときにお父様がラグビーを引退。ニュージーランドに引っ越しましたが、その後もバレエを続け、15歳で単身オーストラリアに渡り、オーストラリアバレエ学校に入学。
ローザンヌ国際バレエコンクールで1位に!
2008年に出場したNBAバレエコンクール中学生女子の部で1位に、そして2009年のローザンヌ国際バレエコンクールでもオニール八菜さんはなんと1位を獲得しました。
こちらがNBAバレエコンクールでの動画です。演目はバリエーションの中でも超難しいグランパクラシック。長身で手足が長いこともあって踊りが大きくて素敵ですね♪
そして、こちらがローザンヌ国際バレエコンクールでライモンダを踊られたときの映像です。
その後もどんどん実力を伸ばしていき、2011年にオーストラリアバレエ学校を首席で卒業。
パリ・オペラ座バレエ団で不合格になるも、契約ダンサーに!
小さい頃からの憧れであったパリ・オペラ座バレエ団の入団試験を受けます。
180人中たったの2人しか入団できないという超厳しい試験で、オニール八菜さんは惜しくも4位。僅差で合格できずに、ガックリとニュージーランドに帰国していたその途中で、パリ・オペラ座バレエ団から電話があり、契約ダンサーとして認められたという知らせを受けます。
こうして憧れのフランスでのバレエ生活がはじまったオニール八菜さん。夢だったパリ・オペラ座バレエ団のカドリーユ(コールドバレエ)として契約しますが、初めのうちは、言葉の壁やバレエスタイルの違いに苦しんだそうです。
バレエのメソッドの違いに苦しむも、晴れて正式に団員に!
オーストラリアバレエ学校では、「ワガノワメソッド」が主流でしたが、パリ・オペラ座バレエ団で主流なのは「フレンチスタイル」。
「ワガノワメソッド」と、「フレンチスタイル」では、肩の使い方や、ポーズの取り方、音楽の合わせ方など、何もかもが違います。
身に沁みついた「ワガノワメソッド」を捨て、新しく「フレンチスタイル」を身につけるため、オニール八菜さんは、来る日も来る日も、レッスンにレッスンを重ねます。
そして、2013年。もう一度、パリ・オペラ座バレエ団の正式団員のテストを受けたオニール八菜さんは、テスト中にしりもちをつくというハプニングに見舞われながらも、見事1位で合格。晴れて、正式団員となります。
そして、そこから目覚ましい活躍を見せ、パリ・オペラ座バレエ団の中で、コリフェ、スジェと、次々に昇進します。
その間にも、ヴァルナ国際バレエコンクールに、同じパリ・オペラ座バレエ団のジェレミー・ルー・ケールと共に出場して銀賞を獲得します。
そして、2015年に「白鳥の湖」で主役デビュー。
その舞台を観ていたピエール・ラコットに、「あなたこそが、私の考えていたパキータだ!」と指名を受けて、「パキータ」の主演に。
バレエ版のアカデミー賞「ブノワ賞」を受賞し、プルミエール・ダンスーズに!
この舞台が認められ、バレエ界のアカデミー賞であるブノワ賞の受賞に至りました。
ブノワ賞というのはバレエの最高峰の賞で、バレエ版アカデミー賞とも呼ばれています。1992年に始まり、毎年5月に発表されます。オニール八菜さん以外には、過去に倉永美沙さんやスヴェトラーナ・ザハロワさん、木田真理子さん、ポリーナ・セミオノワさん、アリーナ・コジョカルさん、タマラ・ロホさん、オーレリー・デュポンさんなども受賞されています。
そして、2016年にパリ・オペラ座バレエ団の最高位エトワールに継ぐ階級、プルミエール・ダンスーズに昇進しました。
[st-mybox title=”パリ・オペラ座の階級” fontawesome=”fa-file-text-o” color=”#757575″ bordercolor=”” bgcolor=”#fafafa” borderwidth=”0″ borderradius=”5″ titleweight=”bold” fontsize=”” myclass=”st-mybox-class” margin=”25px 0 25px 0″]- étoile(エトワール)
- premier danseur(プルミエ・ダンスール)
- sujet(スジェ)
- coryphée(コリフェ)
- quadrille(カドリーユ)
エトワールはわずか20人ほど。オペラ座にはダンサーが全部で150人くらいいるので、かなり狭き門ということがわかりますね。
パリ・オペラ座バレエ学校出身でもなくフランス人でもない彼女が23歳という若さでこの階級にまで昇進したのは、かなり異例のことなんだそうですよ。
彼女の実力が、半端ではないことがわかりますね!
オニール八菜のドラマクイーン伝説
お母さまによりますと、なんでもオニール八菜さんはドラマクイーンなんですって。
大事な節目、節目で必ず、ドラマチックな事件が起こるんだそうです。
16歳で出演した「ローザンヌ国際バレエコンクール」の本番中。
なんと、トゥ・シューズのヒモがほどけます。トゥ・シューズのヒモがほどけるということはまともには踊れなくなるということ。大事なコンクールの本番中に、ヒモがほどけたら、普通の人ならパニックになってしまいそうですが、彼女は落ち着いて、曲の途中に、美しく舞台袖にはけてゆき、ヒモを結び直したということです。
そして、何事もなかったかのように踊り、見事に1位を獲得した・・・・という伝説の映像がこちら。
そんなハプニングがあったことなんて、1ミリも思わせない優雅さで、見事に踊りこなしています!
舞台中のハプニングで、冷静に対処できるということも、プロのバレリーナになるために、ものすごく大切なことですね。
そんな並々ならぬ度胸と、実力の持ち主である八菜さんが、ヴァルナ国際バレエコンクールで、銀賞を獲得した時の映像がこちら。
「ドン・キホーテ」の第3幕の有名で華のあるグラン・パ・ド・ドゥです。
なんといっても彼女の魅力は、踊りが優雅さにあふれているということ。
一つ一つの仕草から気品を感じるので、バレエというものは本来とても、優雅なものなんだということを思い出させてくれるようです。
長い手足を存分に活かしきったのびやかな踊りも素敵ですね。
チャコットのバレエウェアモデルも務めています。
彼女がまとうと、ただのレオタードなのに、まるで美しい衣装のように感じるから不思議ですね。こんなレオタードを着たら、ひょっとしたら、自分も美しく踊れるのではないかと思ってしまいそうです♪
今、話題のオニール八菜さんってどんな人? そのすごーい経歴や、伝説に迫る!まとめ
以上、オニール八菜さんの経歴や、伝説などをご紹介いたしました。
幼い頃からずっと同じバレエ教室で練習をしていると、その教室のバレエスタイルがしみついてしまい、それにとらわれた踊りしかできなくなってしまいがちだったりします。
その点では、オニール八菜さんの場合は、日本、ニュージーランドと渡り歩いてバレエのお稽古をしたり、「ワガノワメソッド」や「フレンチスタイル」など2つのバレエスタイルをどちらも身につけたりしたことで、他の誰にもない個性が彼女の踊りに生まれたのではないでしょうか。
それが、彼女の大躍進の秘密のひとつになったのかもしれません。
「20年後もオニール八菜のバレエを観て幸せになったよ・・・・と言われるダンサーでありたい」と語るオニール八菜さんの活躍に今後も期待していきたいと思います。
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